WEB連載 能登を癒やすちから 第2回
能登半島地震で経験した多くの出会い
ご縁で結ばれた「サイン」を未来へつなぐ

 石川県内のすべての避難所が閉鎖になった、というニュースが車のラジオから流れてきました。
仕事終わりの、いつもの帰り道。
被災地の能登では、朝には家があったのに、夕方には更地になっている風景を目にします。
家族が日々を重ねてきた証のように、土地の真ん中に木が立っています。
街のあちこちで、ショベルカーが公費解体の作業をしていて、空が見え、向こうの建物が見える景色に、はっとします。

 能登半島地震から1年5ヶ月、奥能登豪雨から9ヶ月が経ちました。

震災前の奥能登の風景。海や山に囲まれた集落が点在する。

 今回、本連載で取材させて頂いた方々は、復興を支える側であると同時に、ひとりの被災者でもあります。
誰かを癒しながら、ご自身も癒されているはずです。

 被災地に住んでいても、遠く離れていても。お互いに存在を知らなくても、思いや立場がいろいろでも。
たくさんの方々が復興に向かい、ともに歩んでいます。

 能登を癒やすちから。それは、私たちひとりひとりのちからです。

竹原 了珠 氏

1970年生まれ。
真宗大谷派能登教区浄願寺住職。
能登教務所長。

−−能登半島地震では、能登教区353ヶ寺のほとんどが被害に遭われたとお聞きしました。

改めて、発災当時をどのように振り返っていらっしゃいますか。

 発災直後は、10分先は何が起こるかわからない緊迫した状況が続いていました。とにかく混乱をきたさないよう、情報統制をして平等性を保つ努力をしながら、常時7〜8つの支援の内容を遂行し、次のフェーズに向けての準備も行いながら教務所の指揮を執りました。しんどいということはなかったですね。1年近くのあいだは涙を流しませんでしたが、1年経ったあとは自然と涙が流れることがありました。いま思い出しても、心が震えます。

竹原氏が所長を務める真宗大谷派能登教務所=七尾市

 日々多くの出会いがありますが、それらをどのように結びつけ、支援の活動や対策内容に注ぎ込んでいくか。これが私の仕事です。1月3日以降、支援して頂く方々や挨拶に来られた方々、これらの出会いは私に何を求めているのか?これはなんの「サイン」なんだろうか?そう思いながら生活しています。すべてが私にプレゼントされた出会いです。たくさんサインを頂いたように、たくさんサインを残していきたいですし、より良い形に進化させたものをお渡しできるよう、努力を惜しまないつもりです。

「能登教区寺院マップ」の整備 

 教務所長に就任した3年前から、地震対策は続けていたんです。発災後は多くのボランティア、本山の職員が来られます。土地勘のない方に生産性の高い行動をして頂くために、着任して最初に取り組んだのがGoogle マップを活用した「能登教区寺院マップ」の整備でした。能登地区にある真宗大谷派のすべてのお寺にピンを立てて、地震後、被害状況に応じて5色に色分けしました。黒の三角の丸マークが「本堂・庫裏共に被害甚大」、赤は「本堂ないしは庫裏のいずれかが甚大な被害」、オレンジ色は赤に準じる被害、黄は「中規模な被害」青は「軽微な被害」。各マップには詳細ページがあり、被災した建物の画像や安否情報、周辺地域の被害状況、物資・ボランティア等の必要な情報を加えていきました。

googleマップを活用し、能登地区の寺院の被害状況を一目で把握できる

 地震前からマップを整備していたことに関しても、私の中ではサインがありました。能登全体が大きな地震に見舞われたとき、物資の中継拠点が必要だと思い、マップの整備と同時並行で、地盤が強く、中継拠点としてお願いできそうなお寺の住職さんに相談させて頂いていました。加えて、民間の保険会社さんと被災した場合の保険のプランを一緒に作っていきました。

 御門徒の方々を救い、助けていくには、必ずお寺がキーになります。お寺自体が復興しなければ、苦しみに耐え続ける被災者にとって長期にわたる復興は無理です。苦しみを打ち明けてもいい場が重要です。でも、過疎地にある能登のお寺は経済的に困窮している現状に加えて、政教分離の原則があるため、国からの支援は最も遅くなります。宗派の支援は重要ですが、広域災害の場合は自助と共助だけでは限界があります。そのため、今回の地震以前から政府に近い方と情報交換し、発災以降にすぐに対応していただいたことで、能登半島地震ではお寺を公費解体の対象として早い段階で各自治体に対応して頂くことができました。

お墓の「応急処置」プロジェクト

 地震によって多数のお墓が倒壊し、竿石が倒れ、白骨が剥き出しになっている状況がありました。地震後の早い段階から関係するボランティアの方や石材産業協会さんにお願いして、全国から石材のボランティアの方を募って頂き、ブルーシートで白骨が見えないようにお墓を養生する応急処置をして頂きました。

複数の寺院も立ち並ぶ七尾市の一本杉通り。震災では甚大な被害を被った。

 現場の方に話を聞くと、奥能登の先端までのすべてのお墓を元に戻すのは15・6年かかるのではないかと推測されています。地震後の第一次の応急処置は1年程度の耐久力で行いました。でも、能登の現状を鑑みて、15・6年程度は耐えられるように第二次応急処置をお願いしました。お墓の基礎自体がゆがんでいるため、倒れた竿の石を元に戻すということはできません。皆さまにとって、お墓まいりというのはお骨に手をあわせるようでありつつ、重要なのは竿の石であるような気がしますから、竿石の代わりに小さい竿石を乗せる方法を考えています。それから長期間、露出した白骨を守るためにブルーシートを利用しない方法も考案して頂きました。そうすれば15・6年のあいだ、お墓参りができます。充分に整備できなかったとしても、能登で良い評価が得られれば、次の被災地に能登モデルとして事例をつなぐことも可能です。現在は宗派の寺院が管理する墓地に対して行っていますが、行政管理の墓地にも普及できるよう、自治体へも働きかける計画です。

春になる頃、やっと水道が通った地域も多かった。

災害支援や講演活動を通して

 今回の地震の特徴としてボランティア少なかった、という状況がありますよね。3ヶ月が経過すると支援の心が急速に冷め、なくなることは予測されましたので、2024年3月から被災地の視察を呼びかけました。皮切りに北陸連区内の福井・富山・金沢のお寺関係に来ていただき、また、視察へは行けないけれども能登の現場の状況を話してほしいと講演依頼も頂くようになりました。2025年2月に『立ち上がる念仏』という書籍を東本願寺出版より上梓して頂きました。このとき、講演依頼があることを想定して、講演活動の謝礼について所内で取り決めをし、移動や宿泊などの必要経費だけ頂き、それ以外のお金は能登教区への寄付や所員の福利厚生に充てて頂くように定めました。あらゆる人たちが煩悩を持ち、生きている限り煩悩がありますから、何かを行うと必ずそれに対しての誤解や反発が起こってきます。このようなハレーションを抑え込んでいくことも同時に行いながら、対策を行います。発災当初からずっとそうやってパンチを繰り出しながら片方の手で防御をして進んでいかないと、教務所が壊れてしまいます。教務所所員の心身を守るために、所員の安全は絶対に確保するよう心がけています。発災直後は水がまったく通りませんでしたから、お風呂に入れません。入浴できないと心もすさんできますので、私以外の所員は数日おきに金沢方面に出向させました。私はやっぱり離れられないので、ここに水が通る2〜3ヶ月の間、お風呂に入ったのは2回。ウェットティッシュでなんとかなります。でも自分自身も地震から半年くらい経ったころ、精神的につらい時期もありましたね。

−−地震から1年半が経ちますが、現在とこれからの課題についてどのようにお考えになりますか。

お寺のホールディング化

 地震には2つの側面があると思います。ひとつは物が壊れ命が壊れていく、つながりが壊れていくということ。もうひとつの側面は、能登の場合は過疎です。被災地ではその地域が元々持っている課題が急速に、暴力的な形で表面化していきます。たとえば都市で地震があったとき、助け合いなんて生まれるでしょうか。能登には助け合いの文化があります。1月1日に避難所に集まったとき、かなりの人たちが食料や灯油や発電機などを持ってきて分け合いました。それは都会でできるでしょうか。奪い合いが起きるかもしれませんね。人は過密だけども、つながりは希薄。そういう課題がいびつな形で暴力的に出てくるのが地震だと思うんです。一方で能登においては過疎の問題が深刻です。過疎が進むとお寺の合併、ないしはホールディング化を検討しなければなりません。地震前から必要性は感じていました。各寺の固定費を削減するためには、複合的な組織にならなければいけない。会計業務でも、それぞれのお寺の住職さんや坊守さんがやってらっしゃるのを、ひとりの人が同じしくみで行うほうが効率的です。寺報(お寺の通信)もひとつの拠点から発送するなどして経費削減し、業務をホールディング化していくことによって、過疎化や人口減少社会に対応することができると考えています。

 いくつかのお寺は完全に倒壊しましたが、多くの地域では不同沈下が激しく、消滅してしまった集落もあります。そのため、お寺の復興に関して、たとえば大きな敷地を購入し、複数のお寺がひとつの本堂を共有する形にすることも可能です。奥能登の4つの病院が能登空港の近くに統合されるニュースを耳にしましたので、近くの土地にお寺も建てて病院との利便性を図り、お墓を諦める人たちが多くなると思いますので、納骨施設も整備する必要がありますね。

SNSで御門徒さんとつながる

 もうひとつの過疎対策として、SNSの活用にも取り組んでいます。お寺の公式アカウントで御門徒さんとつながることです。過疎は人が消えるわけではなく、移動しているということ。お寺は周辺の地域に御門徒さんがいる場合が多いので、地縁が非常に強いです。仮設住宅はあと5〜6年は入居可能という見通しだそうですので、5〜6年後に再び御門徒さんが移動してつながりが失われてしまう前に、SNSを通してつながる。SNSならば情報の送信も一括して行えます。課題としては、ご高齢の方にアカウント登録などのサポートをして差し上げること。QRコードを貼っただけでは登録できないため、仮設住宅周りの際などに、その方の了解を得てスマートフォンをお借りして、目の前で登録します。以前、炊き出し支援を行った際に、SNSの登録のお手伝いをして「今度、このお寺さんの炊き出しが来るときは、このLINEに届くからね」などとお伝えします。この取り組みが数年後のつながりの維持に活きることを期待しています。

−−今回、企画の名前を「能登を癒やすちから」とつけました。人のこころを癒すことについてどのようにお考えになりますか。

集落ごとに四季折々の祭りが盛んな能登は「祭りの国」とも呼ばれる

つながりの再生

 1月3日、珠洲まで行って帰るときに、救急車やDMATの方々、自衛隊、消防車、警察車両、おびただしい車列が珠洲に入っていくのを見ました。3日から珠洲の人たちは外に出られるようになり、帰省していた若い人たちなど多くの方々が奥能登から出ていきます。本当に多くの人たちが、雪が降る中、窓を開けて手を振り、反対車線の緊急車両に声をかけてるんですよね。おそらくふるさとに残してきた人たちを助けてほしい、そういう思いがあったのでしょう。その光景を目にしながら、この人たちの苦しい思いを誰が受け止めてくれるんだろうかと思ったんです。ひとりひとり違うわけです。言葉では言い表すこともできないような、自分自身でもしんどいですからなかなか受け止められないような思いです。受け止めるのは人間業では多分できないと感じました。命を助けるお手伝いはお医者さんができるでしょう。しかし、長きにわたり被災者に伴走し続けることは難しいですよね。そんなとき、仏様っていう存在は大事だなと思ったんです。仏様と、その言葉である教え。誰よりも皆さまの苦しみを分かち合ってくれます。復興のため、この苦しい苦境を乗り越えるために人間ならざるものに出会うことしか、能登の人々の苦しみは受け止められないというふうに思いました。

震災前の輪島朝市通りの賑わい。今では全て更地になっている。

 2024年11月ごろから、記念日反応に関して非常に心配していました。地震で亡くなった方々を弔う追弔法要というのは、人を弔うだけではないと思うんです。地震によって、多くの方々が大切な物を失いましたよね。大切な仕事、大切な建物、大切な畑や田んぼ、大切なつながり。そういったものもぜんぶひっくるめて、追弔法要を行っていきます。しかし、追弔法要がいかに大切なのかということを教務所長として充分に広めることができていません。被災された方と住職さんとのつながりが途切れてしまっていることが一番の理由ですが、お寺の住職さん自身がもう仏教のおつとめどころじゃないと。生活の一日一日が本当につらいんだという声も聞きました。ところが、実際に法要を行うと、「やっとゆっくりと手を合わすことができた」と涙を流す人たちがいます。また、御門徒の方々が出会って「久しぶりやねえ!」と互いに喜び合います。人のつながりは無意味かというと、そうではなく、独りになることが一番危険です。被災地において孤立化は絶対になくさなきゃいけません。所員に言っているのですが、すべての取り組みに「つながりの再生」を心がけていくよ、と。組織もお金も、すべての資源をつながりの再生に注ぎ込んでいくよと。つながりのなかに仏様も感じられていくと思いますし、人を癒やす力になるはずです。

輪島塗というサイン

 地震から半年くらい経ったころ、帰宅すると気持ちが落ち込むことがありました。そのころ、ご飯は台所でひとり立ちながら食べて、食器を洗うことが多くなっていました。これではいけないと思って、生活を整えはじめました。その工夫のひとつとして、輪島塗の漆器と御膳で一週間に一回でもちゃんとご飯を食べると、心と体が整った感じがしたんです。これも自分にとってサインだと感じました。2015年に国連がSDGsを定めてから世界に広く普及していますが、何度でもリペアできる輪島塗は、昔ながらの持続可能社会の象徴なのだと思います。輪島塗を昔ながらのSDGsカルチャーとして能登から世界に届けていきたいです。能登のお寺には、たくさんの使われない輪島塗の御膳が眠っています。それらを無償でお譲り頂き、輪島塗の職人さんに再生可能か見極めて頂く取り組みを考えています。アパレル関係や宝飾関係、高級時計の陳列に使って頂き、時計そのものの高級感を輪島塗によって醸し出していくコラボレーションであるとか、それらの取り組みを通して、日本の伝統文化に息づいているものを世界に表現してみたいです。

輪島漆芸美術館所蔵の大型地球儀「夜の地球 Earth at Night」は、輪島塗の技術を結集した作品。現在、世界に輪島塗を発信するため大阪万博で展示されている。