【WEB版】巻頭スペシャル対談 病院を作る前にまちづくりを

民間病院を中心に約2500病院が加入する公益社団法人全日本病院協会(全日病)。その第9代会長に大都市圏以外から初めて選出された董仙会恵寿総合病院(七尾市)の神野正博理事長が、厚生労働省医系技官トップの迫井正深医務技監と、医療と地域づくりの関係や診療報酬などの医療制度のあり方をテーマに語り合いました。

厚生労働省医務技監
迫井 正深 氏

1962年生まれ広島県出身
1989年 東京大学医学部卒業、東大病院、虎の門病院等で外科臨床
1992年 厚生省入省、1995年 ハーバード大学公衆衛生大学院
2006年 広島県健康福祉局長
2009年 厚労省復帰後、介護報酬改定、地域医療計画、診療報酬改定の担当課長を歴任
2018年 医政局審議官を経て医政局長
2021年 内閣官官房内閣審議官・新型コロナウイルス等対策推進室長
2023年 厚生労働省医務技監・内閣感染症危機管理統括庁対策官

公益社団法人全日本病院協会会長
社会医療法人財団董仙会・恵寿総合病院理事長
神野 正博 氏

1980年 日本医科大学卒
1986年 金沢大学大学院医学専攻科卒(医学博士)、金沢大学第2外科助手を経て
1992年 恵寿総合病院外科科長
1993年 同病院長(2008年退任)
1995年 特定医療法人財団董仙会(2008年11月より社会医療法人財団に改称、2014年創立80周年)理事長
2011年 社会福祉法人徳充会理事長併任

神野
迫井医務技監には貴重な公務の時間を縫って対談の席に着いていただき、感謝申し上げます。

迫井
神野先生とは全日病の副会長時代から何度もお会いしておりますが、1対1で対談するのは初めてですね。全日病の会長に就任されて、公私ともに日々の生活や環境が大きく変わったのではないかとお察しします。

神野
私は2009年から16年間、全日病の副会長を務めましたが、やはり会長と副会長では立場や発言の重みが全く違います。日々、大勢の方が来訪されますし、政治家や政府機関の方たちとお話ししたり会食したりする機会も非常に多くなりました。病院団体や政府関連の会合で発言する機会も増え、スケジュール帳は数カ月先までほぼ埋まっております。

迫井
そうですか。神野先生こそご多忙の中、私の執務室までお越しいただき、ありがとうございます。

神野
週の大半を東京で過ごしておりますので、厚労省まではあっと言う間に着きましたよ。ところで、医務技監もご存じの通り、私は石川県の能登で病院を経営しております。かなり以前から、能登は人口減少率、高齢化率ともに国内最速ペースで進んでおりましたが、昨年の地震でその傾向に拍車がかかりました。20年先と想定していた未来の姿が、一足飛びに来てしまったのです。そのような能登での経験にも基づき、私は全日病の会長として、人口減少による社会構造の変化を見据え、病院のあり方を変えていく必要性を会員の皆さんに訴えています。

迫井
神野先生のおっしゃる「未来の姿」とは、高齢者を含む全ての世代の人口が減少する社会のことですね。

神野
はい。団塊の世代が75歳以上になる「2025年」を迎え、本格的な高齢化社会の到来などと騒がれていますが、2040年以降は、その高齢者も減っていきます。能登ではそれが一足どころか二足早く訪れているのです。

迫井
私も常々、講演等で「高齢化問題」だけでなく、その先の「高齢化を伴った人口減少」という、さらに深刻な状況を見据えて対応を講じる必要性を訴えております。先生のおっしゃる通り、2040年に向けて人口構造が大きく変化し、それに伴い従来の医療サービスモデルが通用しなくなります。このような未来予想図を基に、厚労省では今年度末、新たな地域医療構想(※)の指針をお示しする予定です。

※【新たな地域医療構想】 高齢者人口がピークを迎える2040年と人口減少が加速するその先を見据え、より効果的に持続的に医療を提供できる体制づくりを目的に政府が策定を進めている。限りある医療資源を最適化・効率化しながら「治す医療」と「治し支える医療」を担う医療機関の役割分担を明確にし、複数の医療機関や他職種との地域連携を図りながら地域完結型の医療・介護体制の構築を目指す。厚労省が今年度末にガイドラインを示し、都道府県での策定を経て2027年度から取り組みが開始される予定。

神野
患者さんがいずれ減っていく中で、「病気を治して終了」では私たちの仕事はなくなってしまいます。病院は、医療だけでなく健康維持や生活支援にも守備範囲を広げて「健院」に変わっていく必要があると考えています。

迫井
同感です。私も医療に「生活者の視点」をもっと取り入れるべきだと思っています。けがや病気の時だけでなく、安心して人生をすごすという視点から、医療にできることはまだまだあるはずです。地元広島の県職員時代に国と地方の距離を痛感
  
神野
迫井医務技監は以前、お里である広島県の県庁に出向されて、医療行政を担当されていましたよね。

迫井
はい。地元広島の県政に携われたのは大変良い経験になりました。広島県は県都広島市が120万人の大都市のため、都会的な印象を持つ方もいらっしゃいますが、山あり、海あり、島ありで、県北部ではリンゴが取れ、スキー場もあります。南部はミカンやレモンの産地で、穏やかな瀬戸内海が広がります。広島市周辺などの都市圏から離れると、離島や中国山地の農村といった過疎地、へき地での人々の暮らしがあります。能登と同じく、高齢化と人口減少が深刻な地域が少なくないのです。このように、広島県は人口分布や産業構成、地理的な特徴から「日本の縮図」と言われているんです。

神野
なるほど。広島県は大都市が抱える問題、過疎地域・へき地の問題など、日本の各地域が直面する諸課題が凝縮されて存在しているのですね。

迫井
おっしゃる通りです。広島県庁では主に県の医療提供体制の整備に携わっておりました。私は元臨床医ですが、提供体制の構築にあたり、臨床現場の先生方や介護職に就かれている方たち、首長や医師会の先生方と協議を重ね、現場の声、地場の実情を踏まえながら作業を進めました。

神野
今は霞が関の本丸にいらっしゃって政府のお立場ですが、地方行政に関わったご経験は、国の医療計画に対するお考えにも影響していますか。

迫井
大いに影響しています。制度設計などの際に議論することはもちろん大事なのですが、霞が関でいくら議論しても実際にどう現場に反映されていくのか、制度の理念が実現されにくいのはどういう理由からなのか、そういうことを知らずにいくら議論を重ねても、意味がないということを思い知りました。例えば診療報酬は社会保障制度を支える重要な仕組みの1つなので、国内全域で運用することを前提に全国一律の制度設計が基本です。しかし、日本は狭いようで結構広い。風土もインフラの整備状況も人口密度も地域によって大きく異なります。広島のように同じ県でも場所によって全く違うところもあります。全国一律の発想だけでは痒いところに手が届かない、逆に手かせ足かせになってしまう。地元広島で、霞が関の論理と地域の実情の距離をまざまざと見せつけられました。この経験から、診療報酬や制度は現場に寄り添う存在であるべきで、現場を知らずに勝手に線を引いて現場を振り回すのは適切ではない、という思いが私の信念となりました。

神野
全日病などの病院団体は、国と地域の病院との間を取り持つのが役割の1つです。医療現場の切実な思いを国に届ける一方で、国の政策を医療現場に取り込めるようにかみ砕いて提示するのですが、国の政策は総じてオールジャパン的な発想で練られており、それをローカルな諸事情や風土に合わせるのは、なかなか難しいですね。

迫井
分かります。国が決める枠組みと自治体や医療現場の創意工夫をどう調和させるかが課題であり、診療報酬や国の制度はより現場に即した設計が必要です。20年、30年先の医療の姿を見据えて、地域の事情や立場を考慮し、広い視野で医療を見つめ直す時期に来ています。

「住めるまち」に医療がついてくる

神野 
20年、30年先を見据えた医療に関連したお話を少しさせていただきます。能登では今、能登空港近くに新たな病院を開設する構想が動き出しています。その是非はともかく、この地域の、特に震災後の人口推移をみる限り、果たして20年、30年先も病院を維持できるのか、維持費は誰が負担するのか、一抹の不安を拭えません。また、病院を作る前にまず町を作るべきだと考えますが、この点について医務技監はどう思われますか。

診療報酬や国の制度、
現場の事情に即した設計が必要

迫井
医療は地域社会を支え非常に重要な要素ですが、それ単体では地域社会は成り立ちません。交通、買い物、飲食などの生活基盤を含めた包括的な地域づくりが前提となります。医療サービスを提供するには、提供する環境、コミュニティーが、ある程度は整備されていなければならない。これは広島県庁時代に一番学んだことでもあります。

神野
「住めるまち」が出来れば、そこに医療がついてきます。その順番を間違えると、医療従事者も生活者であり人の子ですから、暮らす基盤のないところには人材も集まりにくいですし、仮に集まったとしても長くお勤めいただけるかわかりません。

迫井
能登に限らず、病院運営事業は相当のリソース(資源)を投入し、地元負担も大きいですから、サステナビリティ(持続可能性)を含め、設置が妥当かどうか、地元で慎重に議論を重ねる必要がありますね。

財源確保と提供体制
両面見据えた議論を

神野
迫井医務技監は医療課長、老人保健課長、地域医療計画課長をお務めになり、診療報酬、介護報酬、さらに地域医療計画と地域医療構想を担当されました。オールラウンドな知識と経験から、診療報酬と医療提供体制のバランスをどうお考えか、お聞きかせください。迫井 とても大事なポイントです。医療はボランティアではなく事業ですので、車に例えると「燃料(財源=診療報酬)」をいかに確保するかということがまず、重要です。次に、その燃料を使って車がどの道を通り、どこに向かうのかということを明確にしないと、燃料の無駄遣いになってしまいます。つまり医療は、「燃料(財源)」の確保と「道路(提供体制)」の設計という両面の議論が必要なのです。神野 「道づくり」は本来、その土地に詳しい人に任すべきですよね。

迫井
まさにその通りです。新たな地域医療構想によって得られたゴールに向かい、自らの進むべき道を設計するのは国ではなく、地域であり現場であるべきです。ともすれば国が線を引いた制度を見て、あれやこれやと思案する、といったイメージで語られますが、そうではなく、現場の皆さんが風土や地場の諸事情などを考慮して、制度を創っていくのが基本だと思うのです。

神野
「道」で思い出しましたが、迫井医務技監は、能登をドライブされたことがおありだそうですね。

迫井
はい、プライベートで数年前に。海沿いの狭い道を抜けると突然集落が現れたり、千枚田が海ぎりぎりまで広がっていたりして、なかなか情緒あふれる地域でした。

神野
残念ですが、ご覧になった光景の多くは地震で消失してしまいました。

迫井
え! それはショックです。地域の実情によっては厳しい局面もあろうかと思いますが、医療提供体制の「道づくり」では是非、時代の荒波にも耐え得る確固たるものにしたいですね。

神野
上手にまとめていただいたところで、本日の対談は終了させていただきます。ありがとうございました。

医系技官の「大先輩」、第二代内務省衛生局長時代の後藤新平氏のポスター
の前に立つ迫井医務技監(左)と神野全日病会長=厚労省医務技監室