【WEB版】特別対談『治し、支え、寄り添う』

その人らしく生きるお手伝いを
手法は違えど目指す医療は同じ

昨年夏に新病棟を開設し、急性期医療から介護サービスまでワンストップで行う体制を強化した藤聖会グループ(富山市)の藤井久丈理事長。片や障がい者や子育ての支援も担い、地域社会との「共生」を目指すほうじゅグループ(能美市)の仲井培雄理事長。手法は異なりますが、地域で暮らす人たちを支え、寄り添いたいとの熱い思いは同じです。日本の地域医療のキーパーソンとして知られる両氏が、時代とともに変化する地域社会と医療の関わり方などをテーマに語り合いました。(以下敬称略)

ほうじゅグループ理事長
一般社団法人地域包括ケア推進病棟協会会長
仲井 培雄 氏

1985年 自治医科大学医学部卒
1989年 金沢大学第2外科入局
2004年 医療法人社団 和楽仁 芳珠記念病院 理事長
2012年 社会福祉法人 陽翠水 理事長,ほうじゅグループ代表
2014年 地域包括ケア病棟協会(現 地域包括ケア推進病棟協会)会長
主な資格:⽇本消化器内視鏡学会専門医,⽇本消化器病学会指導医・専門医,いしかわ技術経営スクール修了。
主な役職:⽇本慢性期医療協会 常任理事,⽇本リハビリテーション病院・施設協会 理事, ⽇本在宅救急医学会 理事,⽇本地域医療学会 副理事長,⽇本リハビリテーション医学教育推進機構学術理事, ⽇本医療・病院管理学会 理事。

医療法人社団藤聖会・親和会理事長学 
藤井 久丈 氏

1980年 金沢大学医学部卒業、同大学第2外科入局
1985年 同大学院卒業(医学博士)
1989年 医療法人社団藤聖会八尾総合病院院長就任
2001年 医療法人社団藤聖会理事長就任
2012年 医療法人社団親和会理事長併任
2017年 富山西リハビリテーション病院を開設
2018年 富山西総合病院を開設
2021年 社会福祉法人慶寿会理事長併任
藤聖会グループ(藤聖会、親和会、慶寿会)として、3病院・4クリニック・3⽼健・2特護・5サ⾼住など運営。全⽇本病院協会理事、⽇本病院会代議員、富山県医療審議会委員、富山県⽼健施設協議会理事、富山大学医学部学外臨床教授、富山市教育委員(元全国⾼P連会長)などを務める。

八尾総合病院開設の手本に

藤井
全国を飛び回ってご活躍されている仲井先生に貴重な時間を割いていただきまして、ありがとうございます。

仲井
こちらこそ、藤井先生と久しぶりにじっくりとお話しする機会に恵まれて、大変うれしく思っております。

藤井
仲井先生のお父様が芳珠記念病院を開設されたのが確か1983年だったと記憶しております。私は当時大学病院に勤務しており、非常勤医師として何度も貴病院に伺っておりました。市街地から離れた丘陵地を車で上がっていくと、いきなり立派な総合病院が現れ、病院内では様々な疾患や症状を抱えた大勢の患者さんが受診、入院されていました。住民からとても頼りにされていて、地域医療の核としてしっかり機能している光景に良い意味でショックを受けたのを、昨日のことのように覚えています。国公立病院至上主義の風潮がまだ根強かった当時、「民間病院で地域医療にこれだけのことができるのか、ここまで地域医療について考えているのか」と目から鱗が落ちる思いにかられ、後に私が病院を開設する際の1つのお手本とさせていただきました。

父と町長の思いが重なり

仲井
光栄なお話です。私の父は小松市中心部で外科病院を運営しておりましたが、外科手術が成功して元気になっても、脳卒中や心筋梗塞で亡くなる人が少なくありませんでした。そのため全人的医療を提供できる総合病院の開設を決意して土地を探していたところ、ちょうど総合病院の誘致を公約の1つに掲げて当選した旧辰口町(現能美市)の松崎従成町長と出会って意気投合し、現在地に開設したという経緯があります。

藤井
見晴らし抜群の丘の頂上に大きな病院がどーんと建っているのを見て、この土地の人たちが一生懸命、誘致してこられたのだろうなと推察しておりましたが、やはりそうでしたか。

仲井
はい。自称「公益的民間総合病院」です。ただ、先生がご指摘の通り、何分、市街地から離れた白山の麓に立地しており、当時も今も通院面でのデメリットを抱え、運営は決して楽ではありません(笑)。

藤井
私が先生の病院に伺っていたころから数年後に、私は中山間地域の八尾町(現富山市)で総合病院を開設したのですが、私自身も30代前半と若く、開院直後の数年はとてもバタついて、いろいろと悩みも抱えておりました。その時期に外科医として赴任された仲井先生には何かと手伝っていただき、大変助かりました。ことほどさように、仲井先生とは以前から、浅からぬご縁を感じております。

仲井
ありがとうございます。私も藤井先生の取り組みをいろいろと参考にさせていただいております。

「共生社会」の実現を目指し
世代を超えた交流施設を開所

藤井
以前から仲井先生は、医療と地域のあり方に関して「共生」という言葉をよくお使いになっています。私は「共生」の域には達しておらず、せいぜい「連携」にとどまっていますが、この「共生」のお考えこそに、仲井先生と、先生の法人の「軸」があるように感じます。

仲井
そう言っていただけると本望です。私どもは病院開設後、病院と在宅生活の中間施設となる介護老人保健施設を作り、通所・訪問・泊まりの各事業も始めました。2010年代に入り、医療・介護に福祉・子育ても加えた「共生社会」を目指すほうじーを結成しました。私の地域医療における根本的な目標は、さまざまな背景を持つ人同士が「共に生きる」社会の実現です。その目標に向けた第一歩として2018年、お年寄り、障がいのある方、子どもたちが、世代を超えて支え合い、学び合うことを目指す共生型福祉施設「G―Hills(ジーヒルズ)」を開設しました。

藤井
なかなか素敵なネーミングです。

仲井
ありがとうございます。名称のG にはGenerations( 世代)、Gather( 集まる)、Green(緑)という意味を込めてあります。Greenは施設所在地の能美市緑が丘にちなんでおり、緑に囲まれた丘(Hill)の上から未来に向かってみんなで歩き出せる、そんな安心安全な環境をつくりたいとの思いで事業をスタートしました。

藤井
医療法人が障がい者の自立支援や子育てまで守備範囲を広げるのは、なかなか大変なことです。ご苦労も多いとお察ししますが、どのような事業を展開されているのでしょうか。

仲井
デイサービスや放課後児童クラブ、児童発達支援に加えて企業主導型保育所(※)も併設し、ほうじゅグループの社員と地域の人たちに利用していただいております。能美市の地域包括支援センターも受託していまして、フリースペースを開放して子ども食堂やフリーマーケットを開いたり、施設内のカフェではママさんカフェや職員がつくったバンドのライブを開いたりして、地域の方たちや施設の利用者、家族、職員の交流を図っています。また、障がいのあるお子さんのお世話をしているご家族へのレスパイトケア(休息支援)として、年に1回、桜に囲まれる時期に皆で遊ぶ、グリーンフェスタを行っています。ほうじゅグループの新入職員全員が参加し、サポートしながらコミュニケーションを取っています。

花見で育まれた安心感

藤井
仲井先生の姿を常日ごろ見ているうちに、職員の方たちも自然と福祉に対する意識が高まっているのではないですか。

仲井
それはあると思います。新入社員以外にも毎年手伝いに来てくれる職員が何人もいて、本当にありがたいです。お花見を通じて職員とお子さんやご家族がすっかり顔なじみになり、受診時の安心感につながっています。

藤井
期せずして、そのような効果も出ているのですね。

旧辰口町のDNA受け継ぎ

全国の注目集めた福祉先進地

仲井
「G―Hills」は旧辰口町健康福祉センターの跡地に建てたのですが、このセンターでは介護保険制度が始まる7年前の1993年から、福祉のデイサービスや訪問介護、訪問看護、障がいのある方のデイサービス、介護予防リハビリなどの通所・訪問ケアを展開していました。その先進的な取り組みに全国から視察が相次いでいました。また、40年ほども前から毎年、生涯学習大会を開き、グループごとに地域の課題解決のヒントを探るなど、まだ若かった私にはちょっとついていけないほど先を行っていました。このように旧辰口町は、松崎元町長を筆頭に地域イノベーターのような方が何人もいらっしゃって、将来を見通した地域福祉の大変手厚い地域だったのです。

藤井
驚きました。辰口町って凄いところだったのですね。仲井先生が地域共生に力を入れていらっしゃる背景には、そのような町の歴史があったのですね。

仲井
はい。「G―Hills」は、旧辰口町健康福祉センターの志とDNAを受け継いで開設しました。

コロナで世代間交流が中断

共生型福祉施設「G-Hills」。写真上左は放課後児童クラブ、同右はデイサービスの様子

藤井
その「G―Hills」では世代間交流も盛んなのでしょうね。

仲井
コロナ前までは、そうでした。「幼老障」が一緒くたになって芋ほりや焼いもを楽しんだり、夏は七夕づくりや流しそうめんに歓声を上げたりと、とにかくにぎやかでした。デイサービスのお年寄りのもとに子どもたちが毎日来ては「おはよう」とあいさつするんですね。お年寄りもたいそう喜んで、通うのを楽しみにされていました。しかし、コロナ禍以降、交流は制限せざるを得なくなりました。子どもから要介護のお年寄りに感染する恐れがあるためです。ようやく共生型社会への入り口を作り、これから本格的に歩を進めようとした矢先だったので、とても残念です。2024年からレスパイトケアを復活し、オンラインでの交流や物での交流なども始めましたが、世代間交流は不十分で、以前のような活気は取り戻せておりません。

藤井
そうでしたか。しかしコロナも5類に移行して1年が経ちます。そろそろコロナ前の状態に完全に戻そうというお考えはありますか。

仲井
「コロナにかかってもいいから、子どもたちと交流したい」とおっしゃる方が大多数を占めるのであれば、以前の状態に戻したい思いはあります。

藤井
お気持ちは分かります。コロナも以前のような得体の知れない疾病ではなくなってきましたが、医療現場では慎重な意見が支配的で、多くの病院や高齢者施設が面会制限を続けています。この状況が覆るかというと、まだちょっと難しいですね。

「急性期」から「在宅」へシフト

仲井
先生のおっしゃる通り、コロナを恐れた時代は過去になりつつありますが、かと言って元の状態に戻ったわけではありません。コロナは患者さんの受療行動も変えました。病院よりも自宅療養を選択する人が増え、在宅医療がクローズアップされています。将来的に予測されていた患者数の減少が前倒しになり、少子化と高齢化の流れが加速する中で、私どもの病院も大きな手術やバリバリの急性期を中心軸に据えた従来の医療のやり方では、地域の実情に合わなくなってきました。また、以前から介護や在宅復帰支援には取り組んでおりましたが、それらだけでは時代のニーズに応えきれず、今後は在宅医療に力を入れたいと考えおります。

藤井
在宅医療を強化すると点は、現時点では少し私と異なります。私どもは昨年夏、介護医療院と療養病棟を富山西総合病院に整備しました。高齢化社会と言われますが、私どもが特に在宅医療を強化していた山間部では、ここ数年で急激に高齢者が減少し、訪問看護や訪問介護を利用しても独居で暮らすことができない高齢者がどんどん増えています。また、入院しても介護力の問題で自宅に戻れない患者さんも滞っています。そうした実情を踏まえ、訪問診療を強化するよりも、医療・介護とともに住むところを含めた生活支援をする方向性を強化した次第です。訪問診療は、むしろ専門のクリニックの先生方に協力していただくことが多くなりましたね。

仲井
私と藤井先生の動き方の違いには、地域事情の違いも背景にあるのだと思います。藤井先生の現在の病院のお膝元の富山市婦中地区は市中心部に近くて人口が増えており、大きなショッピングセンターや有名企業も立地する都会に近い環境です。開業医の先生も多く、訪問診療を専門にされる先生も増えています。それに対して能美市は人口5万人ほどの小さな町で、人口は減少傾向にあります。特に私の地元の辰口地区は在宅医療の引き受け手が少ないのが実情です。

軸を少しずらして全体をみる

「2025年」「2040年」見据え

藤井
地域包括ケアの進め方に病院の立地条件が大きく影響しているのは間違いないですね。2018年に開設した富山市婦中地区の2病院は、中山間地域である八尾地区の病院の建替えをイメージしたものです。2025年問題(※)、2040年(※)問題も見据えたときに、中山間地域だけで医療は完結できない、医療圏全体で考えるべきと判断しました。現在地に急性期病棟と地域包括ケア病棟を有する富山西総合病院と、回復期リハビリ病棟の富山西リハビリテーション病院を隣接して建て、2つの病院が連携して1つの病院のように機能するようにしたほか、サービス付き高齢者向け住宅やショートステイなどの介護施設も整備し、八尾を含めて富山市全域を包括的に、ワンストップでみることができるように致しました。元の病院があった八尾地区から婦中地区までは車で10~15分程度の距離で同じ診療エリア内にありますが、結果的には少し軸足をずらしたことで県内の他の病院や介護施設とも連携がとりやすくなりました。

仲井
八尾時代から、藤井先生の先見の明と決断力、スピード感には驚嘆しております。国内でまだ導入例がなかった最新鋭のMRI(磁気共鳴画像装置)や日本海側初のサイバーナイフ(高精度がん放射線治療装置)を導入されたり、いち早く女性専門診療所を開設されたり。専門性の高い医療を追求される一方で、全国でもかなり早く老人保健施設や回復期リハビリ病棟を整備されましたし、富山県内初の地域包括ケア病棟も開設されるなど、在宅復帰支援や介護にも、かなり以前から力を入れていらっしゃいます。何より驚いたのは、病院の最上階がサ高住(サース付き高齢者向け住宅)になっていることです。ショートステイ用のお部屋もありますし、病院内でしっかり地域包括システムが出来上がっている。これは凄いことです。

やりたい医療より求められる医療

藤井
ありがとうございます。私は1988年の八尾総合病院開業以来、「やりたい医療」ではなく「求められる医療」を実践するように心がけ、医師や職員にもその考えを伝えてきました。社会や時代のニーズに合うのであれば、新しいものをどんどん取り入れて、伸ばしていきたいと思っております。

地域の特性に合わせ形態変化

仲井
私も全く同じです。やはり先生とは手法は違えども地方都市の地域医療に対する考え方は共通していますね。

藤井
そうですね。大都市であれば、医療機関の役割分担がされているのでしょうが、地方小都市を基盤とする私も仲井先生も、地域を丸ごとみなければならず、そのためには地域の特性を把握し、それに合わせてどう形態変化していくかということを日々、考えなければなりません。

仲井
同感です。大都市とそれ以外では医療も介護、福祉も運営形態が大きく違ってきます。共生型福祉施設にしても、中京地域の知り合いの先生が「G―Hills」にインスパイアされて開設された施設は、かつての3セク事業のような大掛かりなもので、確実に利益を出していらっしゃいます。併設の保育園も園児数が100人規模で、しかも常に満杯です。うちの場合はスケールメリットが皆無で、運営はとても大変です(笑)。ただその一方で、コンパクトな町だからこそ、お互いの顔が見える環境で、何とか楽しく繋がれるのだと思います。

藤井
たとえ運営面で厳しい地域であっても、そこに住む人たちを支え、守ろうとされていらっしゃる。先生の地域愛が伝わってきます。

仲井
ありがとうございます。本当に厳しい半面、やっていて楽しいことは間違いありません。

地域包括ケア病棟
「おうちで暮らす」を支援

藤井
さてこのあたりで、仲井先生が会長をお務めの「地域包括ケア推進病棟協会」についてお聞きしたいと思います。

仲井
はい。先生もご存知の通り地域包括ケア病棟は、ポストアキュート(※)、いわゆるサブアキュート(※)、在宅復帰支援の3つの機能で地域包括ケアシステムを支える役割を担います。後期高齢者が必要とする医療は、徹底的に病気を治すというより、体調が悪くなった時に再び自宅で生活できるようになる治療やリハビリを提供し、生活環境の整備や生活する上での課題解消の相談に応じ、安心してもらうことの方が、より大切だと思います。このような医療を提供するのが地域包括ケア病棟であり、病院でのチーム医療・多職種協働で患者さんの状態を整え、退院後は地域内の多職種が協働してその人の生活を支えるのが地域包括ケアシステムの基本です。地域包括ケアシステムは介護、障害児・障害者、ヤングケアラー(※)の支援も行う地域共生社会をつくるためのツールと位置付けられており、地域包括ケア病棟には事実上、地域共生型社会を支えることも求められているのです。

キーワードは「ACP」

藤井
仲井先生が目指す共生社会と地域包括ケア病棟は1本の線でつながっているのですね。私も、医療は病気を「治す」だけではなく「治し支える」、さらには「寄り添う」姿勢が必要だと思っております。闇雲に「医療漬け」にするのではなく、その人がどんな医療やケアを望んでいるかをその都度、きちんと理解し、医療チームと相談を重ねながら治療や療養の方針を決めていくことが、その人の尊厳を保つ上でも重要ではないでしょうか。

仲井
いわゆる「ACP(アドバンス・ケア・プランニング=人生会議)」ですね。

藤井
はい。これからの医療のキーワードは「ACP」だと思います。

仲井
同感です。私の病院の地域包括ケア病棟で在宅復帰支援に力を入れるようになってから医療療養病棟の患者さんが減り続け、ついには閉鎖しました。本来は自宅に帰せる人を、いつまでも病院でみ続けていたことに気づかされ、医療のあり方を再考する契機ともなりました。病棟開設時の合言葉は「おうちに帰ろう」でしたが、今は「おうちで暮らそう」です。帰るだけではなくて、ちゃんと生活ができるようになることが肝心ですから。

必要性高まる総合診療医

藤井
なるほど。ところで、協会の名称が先ごろ、「地域包括ケア病棟協会」から「地域包括ケア推進病棟協会」に変わりましたね。

仲井
はい。「地域包括ケア病棟」に加え、令和6年度の診療報酬改定で新設された、高齢者救急を中心とする「地域包括医療病棟」も含め、地域包括ケアを推進する病棟群を育む協会にしたためです。目下、協会で力を入れているのが総合診療医やそのマインドを持つ医師の育成です。高齢者の多くは複数の慢性疾患を抱えており、これら「マルチモビディティ」の患者さんを診るのが地域包括ケア病棟です。協会では日本慢性期医療協会など5団体と「日本地域医療学会」を設立し、主に地方や回復期・慢性期病棟での総合診療医を増やす取り組みを行っています。また、協会として「地域包括ケア推進病棟協会アカデミー」を定期的に開き、総合診療のマインドを持つ医師の育成や、それを支える多職種協働の文化を醸成するためのアドバイスなどをしています。

藤井
全日本病院協会も総合診療医の育成事業を進めています。専門領域を極めることも大切ですが、これからは人と地域を丸ごとみる総合診療医の必要性が一層、高まります。医師は少なくとも、そのマインドを持つべきだと思います。まだまだお話ししたいのですが、そろそろお時間のようです。大変興味深いお話をお聞かせいただきまして、ありがとうございました。

仲井
取り組み方こそ違いますが、藤井先生と共通する部分が多いことをあらためて認識できて、大変有意義でした。ありがとうございました。

◎用語解説◎
※【企業主導型保育所】内閣府が2016年度に創設した制度。従業員の子どものほか地域住民の子どもを定員50%以内で受け入れることができる。認可外保育所に位置付けられる。
※【2040年問題】少子高齢化の進展で2040年に日本社会が直面する課題。高齢化がピークに近づいて医療や介護の費用が増える一方、社会保障制度を保険料などで支える現役世代が激減する見通しとなっている。
※【2025年問題】2025年に日本の人口の約5人に1人が75歳以上の後期高齢者となり、医療、介護の必要性が一層高まり、社会保障費の増大や労働力不足が懸念されている。
※【ポストアキュート】急性期を過ぎて退院に向けた医療が必要な患者を受け入れる機能。
※【いわゆるサブアキュート】自宅や介護施設などで具合が悪くなった患者を受け入れる機能。
※【ヤングケアラー】本来、大人が担うべき家事、家族の介護、世話などを日常的に行っている子どものこと。