令和6年1月1日、能登半島を阪神大震災を上回るマグニチュード7・6の激震が襲いました。七尾市の恵寿総合病院は被災地のただ中にありながら、発災当日も医療を止めず、地震から10日足らずで完全復旧を遂げました。
同病院を運営する社会医療法人財団董仙会の神野正博理事長が、十数年来の親交のある経済産業省中小企業庁付の荒木太郎氏と、発災後の同病院の対応を振り返るとともに、今後の能登の医療や「創造的復興」のあり方について意見を交わしました。
社会医療法人財団董仙会理事長
神野 正博 氏
1980年 日本医科大学卒
1986年 金沢大学大学院医学専攻科卒(医学博士)、金沢大学第2外科助手を経て
1992年 恵寿総合病院外科科長
1993年 同病院長(2008年退任)
1995年 特定医療法人財団董仙会(2008年11月より社会医療法人財団に改称、2014年創立80周年)理事長
2011年 社会福祉法人徳充会理事長併任
経済産業省中小企業庁付 (元石川県産業政策課長)
荒木 太郎 氏
都立西高校,東京大学経済学部
2000年 通商産業省入省
2009年 石川県庁商工労働部産業政策課長(2012年7月まで)
2019年 内閣官房内閣人事局人事企画官
2021年 経済産業省地域経済産業グループ地域企業高度化推進課長
2023年 内閣官房内閣参事官(内閣人事局)併任 総務省行政管理局管理官(国土交通・復興・カジノ管理委員会)
2024年 経済産業省中小企業庁付に併任
神野
荒木さんとはもう十数年来のおつきあいになりますね。経産省から1月22日に石川県庁に派遣されていらっしゃって、以前のように頻繁に連絡を取らせていただいています。
荒木
私は2009年から12年まで、経産省から県産業政策課長として出向しておりました。その間、それこそ毎週のように恵寿総合病院に伺って、神野先生にご意見やご助言をいただきました。
神野
当時、私どもが力を入れていたメディカルツーリズム(医療観光)の関連で、よくお会いしていましたよね。
荒木
はい。医療を核に地域の人たちにもお金が回る事業をいろいろとお考えでしたので、何かとご相談に上がっておりました。石川県には神野先生をはじめ知り合いの方が大勢いらっしゃるので、文字通り第2のふるさとの感覚です。今回は経産省の職員として石川県入りしましたが、地元の一員として能登の産業復興に尽くしたいとの思いを強くしております。
神野
経産省にお戻りになった後も、どうか能登をよろしくお願い致します。
荒木
はい。私は2月末で戻りますが、3月以降も経産省から何人も石川県入りしますし、私も引き続き、能登の産業復興に向けて尽力致します。
神野
ありがとうございます。大変力強く思います。
誕生祝いの最中に被災
リュック背負い徒歩で病院へ
荒木
ところで、神野先生は発災時、ご自宅にいらっしゃったのですよね。
神野
実は1月1日は私の誕生日でもありまして。家族が用意してくれた誕生祝いのケーキを前に、今年も家族とともに無事、齢を重ねることができたと、ささやかな幸せに浸っていたところ、あの、とてつもない激しい揺れに襲われました。大きな音を立てて様々な物が散乱しましたが、幸い、家の中はそこまで大きな被害はありませんでした。しかし玄関の戸を開けて、言葉を失いました。玄関のほんの手前まで、大きな亀裂が走っていたのです。あとわずかで自宅の床が真っ二つに裂けるところでした。外壁にも大きな裂け目ができていて、母が以前住んでいた敷地内の別棟は半壊し、住める状態ではなくなっていました。
荒木
ご自身も被災されながら病院に向かわれたのですか。
神野
非常用リュックを背負い、約2キロの道のりを徒歩で病院に向かいました。一本杉という風情のある古い商店街は多くの建物が倒壊し、病院近くを流れる川は不気味な白波を立てて逆流していました。街灯や信号機も消えた暗闇を過ぎ、普段と同じように灯りがついた病院が見えた時は心底、ホッとしました。
明暗分けた「免震」と「耐震」
無傷の本館へ総員退避
天井落下、水浸しの旧病棟
本館は棚の本すら落ちず
荒木
七尾市は震度6強を観測しました。能登北部ほどではないとはいえ、被害はかなり深刻でした。
神野
私どもの病院は主に本館、3病棟、5病棟の3つの建物で構成されており、上空連絡通路で結ばれています。3病棟と5病棟は耐震構造ですが、今回の強烈な揺れには耐えきれず、天井の一部が落下したり、水道管や排水管、スプリンクラーが破損して水浸しになったり、什器がひっくり返ったりと、かなりめちゃくちゃな状況でした。これに対して2013年に新築した本館は免震構造で、書棚の本1冊落ちませんでした。
荒木
震度6の揺れにも本館はビクともしなかったのですね。
100人の職員が駆けつけ
上空通路で患者を安全に避難
神野
はい。無傷だった本館へ3病棟と5病棟合わせて約110人の入院患者を退避させました。エレベーターが自動停止して全く動かないので患者さんを担架に乗せて一人ずつ、職員が階段の上がり降りを繰り返し、上空連絡通路を使って移動しました。2本の上空連絡通路はそれぞれが柱で支えられた自立した建築物で、大地震発生時の利用を想定して建設計画を立てています。今回の地震は厳冬期の日没直前に発生しましたが、患者さんは屋外に出ずに安全に退避できました。また、警備会社の安否確認・招集システムにより約100人の職員が駆けつけてくれて、本当に助かりました。
荒木
神野先生は発災直後に、本館への総員退避を命じられたそうですね。
神野
はい。おそらく発災から1時間たっていなかったと思います。非常時では、トップはその場ですぐに決断しなければなりません。判断に迷い、「検討」を重ねていては手遅れになります。
総員退避と並行して、本館の内視鏡室やリハビリテーション室、化学療法室などを仮設病床に転換し、急ごしらえで受け入れ先を設けました。
また、病院周辺の桜町と災害協定を結んでいることもあり、地元の方も多数、当院に避難していらっしゃいました。本館1、2階の外来フロアなどは避難者であふれ返り、飲料水や非常食をお配りしました。
医療の命綱、電気と水の対策万全
地震当日も妊婦受け入れ、無事出産
井戸水を飲料・医療用に
日ごろから水質を検査
荒木
七尾は断水の長期化が深刻なエリアの1つでした。
神野
電気と水は医療の命綱です。幸い、病院周辺の地域は停電を免れましたが、仮に停電しても、本館は非常用電源の確保対策を二重三重に講じてありました。
一方、水道は断水し、井戸水をろ過する装置を使って直ちに上水を井戸水に切り替えました。井戸水は普段、トイレや融雪用に使っていますが定期的に水質検査をしており、地震発生後の水質検査でも問題なかったので、飲料水のほか手術や救急診療にも使用しました。これにより地震発生当日も手術・分娩が可能でした。実際、1日午後7時半ごろに志賀町の妊婦さんが当院に来られて、翌2日午前2時過ぎに赤ちゃんを無事出産されました。
荒木
恵寿総合病院は三が日明けの1月4日には暦通りに外来をフルオープンし、発災直後から能登北部の妊婦さんたちを受け入れました。水と電気が止まらず、本館が震災前と同じように機能していたからこそだと思います。しかし、そうであっても何かと不都合はおありだったとご推察します。最もご苦労されたのは何ですか。
神野
透析患者さんへの対応です。当院には120人の透析患者さんがおり、血液浄化用に1日15トンと大量の水が必要です。各方面に働きかけ、かなり難儀しましたが、自衛隊の給水車が来てくれることになり、1月6日から透析を再開できました。
発災後10日で全病棟完全復旧
避難所の医療支援にも力
巡回バス走らせ
避難所と病院結ぶ
荒木
地震発生10日後には全病棟を完全復旧されています。神野先生のスピード感には、いつもながら敬服します。
神野
ありがとうございます。ただ、病棟の全面復旧後も医療用以外には水を大量に使えないため、院内給食はレトルト食品と全国の給食センターからの支援で賄っておりました。通常に近い食事を出せるようになったのは、田鶴浜にある給食センターが復旧した2月16日、発災から1カ月半後です。
荒木
避難者の医療支援も積極的に行っていらっしゃいます。神野 病棟の復旧に伴い、1月9日に避難所の巡回支援を開始しました。翌10日からは七尾市内で100人以上の避難者がいる避難所と私どもの病院を巡回バスで結びました。避難所で検査をするのは難しく、体調の優れない方は病院でしっかりと検査・治療できるようにしました。
託児所や心の相談室
職員の支援体制も整備
荒木
職員の方達も大半が被災者です。
神野
はい。自宅以外から出勤するなど出勤しづらい環境の職員が大半でしたので支援体制を整えました。まず1月9日から29日まで、院内に未就学児や学童の仮設託児所を運営しました。保育士の資格を持つ職員や病児保育のスタッフ、ボランティアの協力も得て、30人近くの職員の職場復帰を支援しました。また、もともと職員がオンラインで24時間365日いつでも相談できる「心の相談室」を外部委託で運営していましたが、震災を機に職員の家族も利用できるようにしました。
一方で、医療DX(デジタル技術)を進めていたことが、疲弊している職員の業務量軽減につながりました。生成AI(人工知能)の活用で退院・転院時に必要な書類作成時間が大幅に短縮され、削減できた時間を本来業務に充てることもできました。
バックアップは二重に
指揮命令・情報を一元化
荒木
これがダメでもこっちで、という二重のバックアップ体制、発災後も一貫して統率の取れた組織体制は、産業の観点からも大変参考になります。
神野
ありがとうございます。本部対策会議は発災から8日目までは1日3回、朝・昼・晩に開き、以降19日目までは2回実施し、現在は朝のみ開いています。今回の震災のような非常時は、速やかな災害対策本部の設置と指揮命令・情報の一元化が重要です。部門別の指揮官に情報を集中させたうえで本部に報告するようにし、各部署や法人各施設とは、マイクロソフト社のビデオ会議システム「Teams(チームズ)」を使って情報共有化を図りました。
荒木
2月13日に馳浩知事が恵寿総合病院を視察した際は私も同行しておりました。知事は視察後、恵寿総合病院を参考に公立病院の再建を進める考えを示されました。
能登の医療の全体像
描いたうえで再建を
神野
私どもの病院がいち早く通常の医療体制に戻れたのは、2007年の能登半島地震の教訓、東日本大震災を受けた備えが生ききたからです。災害は「来るかもしれない」ではなく「必ず来る」と覚悟を決めて備えるしかありません。知事からは「能登の病院再建の参考に」との言葉をいただきましたが、私はその前に、今後の能登の医療のあり方、深刻な過疎地の将来のグランドデザインを明確にする必要性を知事に強く訴えました。
少々私の病院の「震災奮戦記」のお話が長くなりましたが、今回の荒木さんとの対談では、このことを主軸に展開していきたいと考えております。
荒木
承知致しました。
「復元」か、「創造」か
20年後を見据えて決断を
神野
正直、能登北部の現状は、医療的に言えば重症です。この状況で、能登の産業復興は、本当に可能なのでしょうか。
荒木
超えるべき課題はとても多いと思いますが、まずは水、道路などのインフラを少しでも早く整備することに全力を上げ、インフラが一通り確保できたら、なるべく早いタイミングで産業復興へ移っていくお手伝いをしたいと思っています。
神野
能登の復興をめぐっては、発災当初から「できるだけ早く元通りにするんだ」という意見と「元通りではなく、新しい能登をつくるべきだ」という意見があります。荒木さんはどうお考えですか。
荒木
地震前から能登は高齢化率が高く人口減少も顕著な地域でした。震災で、人口動態が変化するのは避けられないと思います。今まで通りに戻すというよりも、震災後の新しい社会環境に合わせて、事業者の皆様に事業を展開していただく必要があると考えます。
高齢化率50%超
患者も医師も高齢化
神野
医療面から言わせていただくと、能登はかなり前から医師不足が深刻です。数少ない医師も高齢の先生が多く、後継者がいないところが大半です。DMAT、JMATなどの医療支援者が波が引くようにいなくなった後のことを想像すると、少し恐ろしい気がします。
さらに、患者さんである住民も減り続けています。震災前の時点で、奥能登4市町の高齢化率は50%を超え、今後20年余りで人口は半減、地域によっては減少率が6割を超えると推計されています。
例え病院を元通りにしても、患者さんがいない、医師も足りないという現実が待っているのです。医療に限らず産業にも同じことが言えるのではないでしょうか。闇雲に原状回復にこだわるのではなく、能登の医療や産業を俯瞰するグランドデザインをしっかりと描くべきだと思います。
荒木
石川県が策定中の「創造的復興プラン」や各市町の復興計画がグランドデザインの位置づけになると思います。これらに基づいて、速やかに復興が進められていくことで、新しい時代の能登の実現に近づいていくものと考えています。私も微力ながら全力で応援します。
震災後に新しい東京を創造
後藤新平の先見の明
神野
関東大震災の後、東京市長から内務大臣に就いた後藤新平氏が東京の区画整理を行い、今の都心の基盤を整備した話は有名です。後藤氏は元の状態に戻すのではなく、新しいまちづくりを推し進めました。その先見の明とスピード感に、今あらためて敬服の念を強くします。この地域をこうするんだ、と決めるのは国、県の役割であると思いますが。
荒木
全国各地で災害後のまちづくりの経験を積んだ専門家が多数、石川県入りしています。東日本大震災や熊本地震での対応経験も豊富なこの方たちと連携し、能登の復興に向けた地域づくりを進めていきたいと思っています。
神野
七尾市の姉妹都市でもあるアメリカ西海岸のモントレー市は、海沿いにセレブの高級住宅街が広がる一方で、街なかの商店街は条例によって、1階はお店、2階以上はマイノリティー(少数派)の住宅に充てられています。日本でも、高齢者や障害者ら少数派の方たちを特定地域に優先的に集めて、医療や福祉などのサービスを提供する、あるいは地域に散らばる集落を1つにまとめて「集住」する。そういった考え方が今、必要だと思います。
荒木
「コンパクトシティー」の発想ですね。全国的にサービスを提供する側も人材が限られてきており、限られた人材で、いかに質の良いサービスを提供するかが課題になっています。そのような側面からも、ある程度の人口規模がないと、十分なサービスを提供するのが困難になってきており、日本全体でコンパクトシティー化を
進めていく必要性が増しています。
地域集約という「大手術」
批判恐れず踏み切れるか
神野
「ポツンと一軒家」に住めるのは、何でも自分でできる、健康でたくましい人だけです。他者の支援を必要とする人は、ポツンと一軒家に住むべきではないと思います。
広大な地域に散らばる集落を全て復興することは不可能に近いですし、仮に復興できたとしても、そこに住む多くの高齢者のお世話を誰がするのか、という問題が残ります。そういった現実を直視すると、新しい町、コンパクトタウンを作った方がいいと考えます。
地域の集約化という「大手術」に踏み切れば、当然、反対意見や批判が出るでしょう。生身の人間が暮らす地域のあり方を、行政の都合やサービスの効率だけで決めて良いのか、という側面も確かにあります。ただ、20
年後、30年後の地域の姿を見据えて、メスを振るうべき時だと、私は思います。
荒木
維持費などの負担も考慮し、必要なインフラをどう選択するかは、日本全体の課題です。国や県は、特定の場所に住んでくださいと強制はできませんが、誘導と言いますか、インセンティブ(動機付け)ができないかと思います。
神野
政府の「デジタル田園都市構想」には生活圏人口10万人以上を目安とした地域づくりが盛り込まれています。能登の人口は宝達志水町以北を全部合わせて20万人弱です。いっそ「大能登市」をつくり、そのうえでコンパクト化を進めていく、くらいの大胆な発想で、県にはグランドデザインを描いていただきたい。
荒木
経産省の業務の一環として、地域経済圏において各種サービスを提供する上で、どれだけの顧客数が必要か、ということを調べたことがあります。その結果、通える範囲に10万人以上の塊があると基本的なサービスを十分に提供できることが分かりました。いかにして、こうした人口の塊を作り、サービスの供給体制を整えるかが、これからの大きな課題です。
病院を核にした
コンパクトなまちづくり
神野
医療においても、人口20万人ほどの圏域に、専門医療を受けられる拠点病院と総合的に診る小規模な病院が立地するのが望ましいとされます。先ほどもお話しましたが、各地に大規模な拠点病院を作っても、立派な建物の中に患者さんも医師も看護師もいない、という状況に陥るのではないでしょうか。
荒木
医療機関の配置や機能分担については非常にデリケートな問題です。私の専門である地域経済振興の観点から申し上げますと、高齢者の多くは病院へ定期的に、しかも結構、頻繁に通っていらっしゃいます。ということは病院を核にしたまちづくりが、能登のような高齢化率の高い社会には非常に適していると言えると思います。高齢者向けのスーパーがあったり、理髪店や美容室があったり、図書館や郵便局などの公共施設もあったりすると良いですね。病院を核としたコンパクトタウンも非常に良いですし、仮に離れたところに住んでいても通院の際にすべての用事が済ませられるようにすれば、住民の利便性に加え、事業者がなりわいを続けやすくなる利点もあります。
加速する若者の能登離れ
呼び戻せるかが地域再生の鍵
神野
高齢者が快適に住み続けるには若い世代の支えが不可欠です。今春の公立高校入試の出願状況にも、若者の能登離れがはっきりと表れました。若者が戻ってこないと病院も商店も運営がままならず、税収も細り、高齢者のお世話をする人も不足して、まちは成り立ちません。
工場ではなく本社を
企画の仕事が若者に受ける
荒木
もっともなご指摘です。若者が戻ってくるには、地域の経済規模がある程度大きくないと困難です。一定規模の地域には、若者が魅力を感じる企業が立地しやすく、例えば七尾に本社を置くスギヨさんは、世界を相手に輸出戦略を練る部署もあれば、国内の営業戦略を立てる部署、商品の企画開発部門もあります。このように、地域をリードするような企画機能を有する企業が多い地域であることが、若者を呼び戻す必須条件の1つです。
そういった企業・組織は製造業に限りません。和倉の旅館もそうですし、私が注目しているのは病院です。神野先生のグループは千人を超える職員を抱え、地域の医療・福祉関連事業の企画担当者も相当数いらっしゃいますよね。地方の若い人に話を聞くと、企画的な仕事をする職場がないから都会へ出る、という人が多いのです。
神野
例え半導体の製造工場を誘致しても、どこか遠くで設計したものをひたすら組み立てるだけでは、魅力を感じにくいでしょうね。
荒木
工場や現場だけでなく、本社が地元にあることが重要です。興味深い企業の1つに、本社機能の一部を東京都心から珠洲市に移したアステナ(ホールディングス)さんがあります。本社機能があれば企画や研究開発などの仕事もありますので、若者の就職先の選択肢になる確率が高まります
リスクは全国どこも同じ
大都市より暮らしやすい
神野
少し前まで、北陸は自然災害の少ない地域と言われ、それを理由の1つに大都市圏から移転する企業もありました。その「神話」は崩れ去りましたが、かといって北陸が、能登が、とりわけ危険な地域ということでもありません。
荒木
おっしゃる通りです。大都市圏をはじめ全国のどの地域もリスクはあり、今後はリスクを分散させることが産業において一層、重要になります。分散先として、豊かな文化が息づき、ゆったりと暮らせる北陸は、これから先も魅力的な候補地の1つであり続けると思います。
神野
生活環境の良し悪しも判断材料になるのでしょうね。
荒木
まさにそうです。外資系や上場企業が拠点を置く地域を選ぶ際、重要視するのは生活環境です。中でも教育環境と医療環境、つまり学校と病院が決め手になります。
神野
医療環境の点には自信があります(笑)。
荒木
個性的で、通わせたいと思える学校の存在も大切です。七尾はこの点もクリアできるのではないでしょうか。
神野
あとは大型ショッピングモールがあれば申し分ないのですが(笑)。
荒木
かほく市にありますが、ちょっと遠いですか(笑)。
神野
物事は二重化することが大切です。今回の震災では1本しかない幹線道路が通行できなくなり、復興の妨げとなりました。インフラの脆弱性は半島の宿命ともいえますが、できれば強靭な幹線道路をもう1本通し、金沢や七尾と能登各地とのアクセスを向上させてほしいですね。
荒木
金沢は遠すぎますので、やはり七尾を能登のハブ(拠点都市)として整備を進めるべきではないかと、私も思います。
経産省では商店などを対象とした「小規模事業者持続化補助金」、企業、医療機関など幅広い業種を対象とする「なりわい再建支援補助金(※)」などを用意しております。「持続化」は手続きをかなり簡素化し、「なりわい」は建物・設備の復旧や新たな取り組みが対象となるのが特長です。各県の公募資料に詳細が記載されていますのでご確認いただければと思います。震災を機に新しい分野、事業に挑戦しようとする方たちを応援したいとの思いも込めました。是非、これらの制度も利用して、事業者の皆さんには一日も早く、前を向いて再び歩み始めていただきたいです。
神野
かなり前から能登は、高齢化率、人口減少率ともに国内最速ペースで進んでいます。そのペースはコロナ禍で早まり、今回の震災でさらに加速しました。能登は日本の未来の姿であり、未来の日本をどうするかという視点で、息の長い支援を賜ることを切に願います。本日は超ご多忙のところ、お時間を割いていただき、ありがとうございました。
荒木
私の方こそ、いろいろと参考になるお話を聞かせいただきまして、ありがとうございました。
(2月25日現在で編集しました)