
病院との連携強化に活路
能登半島地震の被災地のただ中にありながら発災当日も医療を止めず、2月の国会で「能登の奇跡」と紹介された七尾市の恵寿総合病院。その「奇跡」の一端を支えたのが多くの協力企業でした。その1社で同病院と災害時協力協定を結ぶ医薬品卸の北陸最大手・明祥の川尻洋光社長が、董仙会の神野正博理事長と、有事の際の医薬品安定供給体制や「黒船来襲」で転機を迎えた業界について語り合いました。 (以下敬称略)

明祥株式会社代表取締役社長執行役員
川尻 洋光 氏
1989年 金沢経済大学(現 金沢星稜大学)経済学部商学科卒
明希株式会社(現 明祥株式会社)入社
2012年 同社執行役員・営業本部営業推進統括部長
2013年 同社取締役執行役員・営業本部営業推進統括部長
2014年 同社取締役執行役員・営業本部長
2016年 エス・エム・ディ株式会社取締役(現職)
2019年 明祥株式会社取締役常務執行役員・営業本部長
2022年 同社取締役専務・執行役員・営業本部長兼北陸事業部長
同社取締役専務・執行役員・事業統括部長
2023年 同社代表取締役社長・執行役員就任(現職)
明祥システム株式会社取締役(現職)

社会医療法人財団董仙会理事長
神野 正博 氏
1980年 日本医科大学卒
1986年 金沢大学大学院医学専攻科卒(医学博士)、金沢大学
第2外科助手を経て
1992年 恵寿総合病院外科科長
1993年 同病院長(2008年退任)
1995年 特定医療法人財団董仙会(2008年11月より社会医療
法人財団に改称、2014年創立80周年)理事長
2011年 社会福祉法人徳充会理事長併任
「能登の奇跡」の一端を支え
川尻
神野先生と直接お話しする機会があったら、ぜひお伝えしようと思っていたのですが、今回の震災で、先生の危機管理意識の高さと完璧なBCM(事業継続マネジメント)・BCP(事業継続計画)に感動しました。中でも一番感動したのは、発災からわずか3日後の1月4日に外来を再開されたことです。恵寿総合病院をお手本にさせていただき、遅まきながら弊社もBCM・BCPを作りたいと思っています。
神野
のっけからお褒めいただき、ありがとうございます(笑)。私たちは2007年の能登半島地震を経験し、さらに11年の東日本大震災で海沿いの病院が津波や液状化などの深刻な被害に遭われて大変ご苦労をなさったことを踏まえ、非常時でも医療を継続できるように本館の免震化、井戸水活用による上水の二重化、電源の二重化など様々な準備を進めました。
川尻
震災後、「恵寿総合病院は被害が少なくて、運が良かった」とおっしゃる方も一部にいらっしゃったとお聞きしますが、そうではなくて、お金と時間をかけて創意工夫を重ねてこられた結果だったのですね。

災害時協力協定を締結
神野
そう言っていただけると本望です。私たちは10年がかりで病院のBCPを整えました。その1つである災害時のバックアップ協力協定を、明祥さんと結ばせていただいています。私たちの施設、医療の「砦」をいくら強固にしても、医薬品などの「弾」がなければ、闘えません。御社は発災後、「弾」を途切れることなく、安定供給してくださいました。そのことも、1日たりとも医療を止めずに乗り切れた大きな要因です。あらためて感謝申し上げます。
川尻
励みになるお言葉をいただき、恐縮です。
被災時はグループ企業が支援
神野
今回の震災で、御社の物流面などの災害対策も、かなりしっかりとされているのではないかと感じました。その点についてご説明していただけませんか。
川尻
はい。アルフレッサグループでは、地域センター機能を持つ物流センターが全国に19か所ありまして、そのうちの1つ、北陸のセンターが弊社にございます。常に医療用医薬品約1万6500アイテム、およそ26万ピースの在庫を保有しており、大規模災害などで供給網が遮断されても、2か月ほどは備蓄でしのげます。今回の震災では金沢にある弊社のセンターはほぼ無傷でしたが、万一、金沢に何かあった場合は、愛知物流センターから米原経由と東海北陸自動車道経由の2ルートでサポートいただける体制になっています。北陸が大雪に見舞われた数年前には京都のセンターからサポートを受けたこともございます。
神野
医薬品卸の合従連衡に批判的な向きもありますが、やはり有事の際などは大規模なグループ企業のしっかりとした相互協力体制が医療機関にとっては心強く感じます。そういった意味でも、アルフレッサグループに入る英断をされた石黒(傳六元会長)さんは、先見の明がおありだったのだと、あらためて思います。
川尻
ありがとうございます。
神野
金沢のセンターが無事だったとはいえ、能登地区、とりわけ能登北部の病院への医療物資の配送は、道路事情も劣悪で、相当ご苦労なさったのではないですか。
川尻
ご指摘の通りです。1月2日に社員2人ずつが4方向から能登北部に向かいました。七尾までは割とスムーズに行けたのですが、輪島便は22時間かかりました。珠洲便は途中で断念せざるを得なくなり、翌日のお届けとなりました。
医薬品安定供給へ、万全の策
「Teams」活用し被災地に配送
神野
やはりそうでしたか。私たちの病院は明祥さんの配達がほぼ通常通りだったことに加えて、すぐ近くに御社の七尾倉庫があることも安心材料でした。しかし、能登北部は発災から時間が経過しても道路事情が一向に改善されず、長期にわたり物流面でのご苦労が続いたのではないかとお察しします。
川尻
はい。劣悪な道路状況の中、少しでも安全かつ迅速に搬送業務を遂行するために、マイクロソフトの情報共有ツール「Teams」を活用しました。通行した道路の状況を動画で撮影し、対策チーム全員がその情報を共有して、次便以降のルートの修正や安全対策に役立てました。
神野
私たちも能登北部の関連施設に物資などを届ける際に、全く同じことをしていました。震災直後、携帯も固定電話も通じなくなりましたがWi-Fiだけは使えて、能登北部の事業所との連絡も「Teams」で行っていました。
川尻
「Teams」にはチャットやファイルの共有、Web会議など様々な機能があり、日常業務にも役立てています。最近になって恵寿総合病院のBCM・BCPに「Teams使用の日常化」という項目があること知り、この点は弊社も同じですので、少し鼻が高い思いがしております(笑)。
倉庫を自動化、生産性を向上
神野
先ほどの川尻社長のご説明にあった、御社の物流センターに保管されている医療物資の膨大な数に驚きました。それだけ大規模なセンターでは、かなり自動化が進んでいるのではないですか。
川尻
機械やデジタル技術を活用して、物品の管理、仕分け、出荷作業などを自動化しております。省力化やヒューマンエラーの撲滅、業務の効率化につながっています。
アマゾン参入で募る危機感
神野
医療機関は総じて、生産性向上への取り組みが遅れています。この点は明祥さんに学ぶべきですね。話は変わりますが、ついに今年7月、アマゾンがオンラインで処方薬を受け取れる「アマゾン・ファーマシー」を国内でスタートさせました。米国では2020年のアマゾン参入以降、1000店近くの調剤薬局がなくなったというデータもあるようです。国内の業界も新たなターニングポイントを迎えた気がしますが、御社ではどう受け止めていらっしゃいますか。
影響は薬局から卸まで
川尻
薬局さんの多くは危機感を募らせています。今はまだアプリを介して薬局と利用者様をつなぐ処方薬流通のプラットホーム的な機能にとどまっていますが、そのうち必ずアマゾンさん自らが調剤工場を持つようになり、直販を始めるでしょう。そうなると、国内でも米国同様に相当数の薬局さんが淘汰されてしまう可能性が大きいです。
神野
当院では今年6月から電子処方箋に対応していますが、この電子処方箋に対応する医療機関の増加や、オンラインによる服薬指導がコロナ禍を機に国内でも認められたことが「黒船」が来襲しやすくなった要因でしょうね。
揺らぐ卸の存在意義
川尻
おっしゃる通りです。その影響は薬局さんだけにとどまらず、私たち卸売業界にも及ぶと思われます。アマゾンさんが調剤工場を持つと、メーカーと直接取引することが想定されます。そうなると私たち卸の存在意義が、根本から揺らいでしまいます。
神野
医薬品卸は、医薬品流通経路の最終ポジションにあることから「ラストワンマイル」といわれますが、その「ラストワンマイル」を頭越しにした流通スタイルに変わる可能性があるのですね。
川尻
はい。その速度が速いか遅いかの違いで、いずれは必ずそのような流れになっていくと予想されます。そうした状況の中、私ども卸の業界は病院とのお付き合いを、より大切していかねばなりません。今後、病院とのお取引の比重が増すのは必至で、病院が活路の「命綱」になると思っております。
神野
確かに、病院で扱う医薬品に関しては「黒船」の影響は受けませんからね。振り返れば明祥さんには、まだ取引がそれほど多くないころから、様々な情報の提供や提案をしていただき、「病院のことをよく知っている、頼りになる会社だな」という印象を持っていました。御社にはこれからも頼りになるパワフルな企業であり続けてほしいので、ぜひ病院の外でも、健闘されることを期待しております。
川尻
ありがとうございます。神野先生は私の「経営の師」でもあります。ご期待に沿えるよう頑張りますので、今後ともよろしくお願い致します。
明祥株式会社
本社所在地:石川県金沢市無量寺町ハ1番地
電話:076-266-4141 URL:https://www.mshhs.com/
【薬種商として創業、354年の歩み】
石黒家第5代福久屋新右衛門が「牛黄圓」を創製した後、寛文10(1670)年に加賀藩主の御典医から門外不出の三味役を伝授され、調合販売が官許された。1963年に福久屋石黒傳六商店、折本薬局、坂本薬局の卸部門を母体にカサマツ株式会社と業務提携、明希株式会社。1998年、カサマツ株式会社と合併しカサマツ明希株式会社。2001年、北邦医薬と合併し明祥株式会社。2006年、アルフレッサグループに参加
資本金:3億9千5百万円
社員人数:399名(うち正社員327名)
売上高:1127億円(2024年3月決算期)
事業内容: 医薬品・ワクチン・臨床検査試薬・医療用機器・医療用食品・防疫用薬剤・医療用原料・医薬品添加物・食品添加剤・工業用薬品(半導体・一般用)の卸売等・経営及び医療に対するコンサルタント業

江戸末期建築の福久屋石黒傳六商店(金沢市指定保存建造物)
